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緩急のつけ方 [日記]

オリンピックの体操競技のあん馬を見ていて思ったこと。



解説などでは「一定の速さで動いていて美しい」
という表現がなされることが多い。

これは単に同一のスピードで選手が演技をしているという
意味ではなく、「決めの姿勢が一定の速さ」でやってきて
それが「一定である(ように見える)から美しい」という意味であろう。

ひとつひとつの動きそのものには緩急がある。
また、それがなければできない。

人間そのものも同様で、
身体的にも精神的にも緩急は重要なのだ。




体操などの判定では、ミスがある・なしではなく、
難度の高さも問題となる。

難度の違いを無視して評価することはできない。


この内容吟味ということも人間一般にあてはまる。

よく「失敗をしないためには何もしないこと」だと言われるが、
技術面だけでなく、精神面の成長のためにも重要である。

難度の高さをどのように評価するか…



評価する側が問われる場面でもある。





怒涛の書き込み再び!
これが私の緩急のつけ方!

ルール [日記]

毎日オリンピックを観て忙しい。

ここでの感動は、
勿論選手たちの才能や努力がもたらすものであるけれど、
それだけではない。



競技には、それが成立するためのルールがある。
そしてそのルールは周知されている。

ルールがあるからこそ、
その枠の中だからこそ、
感動がもたらされるのであって、
これがなければ感動は生まれない。

明確なルールがなければ
参加者は不信と不安を伴ってのプレーとなり、
決して感動は伴わない。

また努力に対して「メダル」や「記録」という明確な結果が伴う。
それを確認することで、
自分の立ち位置や先のことを考えることができるのである。
それが次へのモチベーションにつながる。

でもこれがなかったらどうだろう?



このことは競技に限らない。
ルールは「ある」だけでなく周知されなければ意味がない。

そうでなければルール(もしくは体制側の捉え方)を
知っている一部の者が楽をし、勝つに決まっている。

また、そういう「側」の人間ほど「勝敗」という言葉を表に出す傾向がある。
逆に、そうでない「側」の人間にはそもそも、そんな感覚は生まれようがない。

これならば同じ土俵にのる意味がない。
単に不信と不安だけを増加させるだけである。
ましてや意図的に隠蔽するなどもってのほか。



ここにルールというものの本質的な問題がある。

手紙… [日記]

夏の日差しの中にありながら、
早や、路傍には枯れた葉が落ちている。

夏と秋の同居を視覚でとらえる。

そんな風景を見ると、
ふいに記事をアップしてみたくなる衝動がわき起こる。



日本画の小川芋銭の言葉。

『実物写生を怠らず実物を画にせんと思はず、
実物から画を教えらるるやうに工夫すべし。』

絵に限らず、
ものごとを捉えるため、本質を捉えるためには
大切な姿勢。



先日、いわば彼の「アトリエ」を訪れた時に見た
直筆の手紙の一文が
なんだか温かくて、妙に心に残って懐かしさすら感ずる。

『~(略)~バカに塩辛くてご飯がたくさん進みました~(略)~』

前後の文字ははちょっと読み辛いにも関わらず、
毛筆の「バカ」の2文字がやけに大きくて、
ふいに目に飛び込んできたのだった。

何気ない日常。
小さな足跡。

こんな手紙を誰かに書いてみたくなる…

(注)どうやらこの記事がまた「曲げて」
  読まれる怖さを感じてしまった。
  字義通りに読まれることを願うのみ…8/18 11時)

認知の地図… [日記]

豪雨がもたらす川の増水。

例えば、先日の都賀川では
10分で1メートルも水位が上がったという。

予想以上の集中豪雨ということもあるけれど、
地形的にもそれが起こり易い状況がそこにある。



ところで人間においても
ある種の感情がこれと似たような動きをすることがある。

突然の激しい感情・情動を自分の中に感じ戸惑い、
おっとっと、これはいけないとばかりに
自分をコントロールする。

認知の地図をそこに広げて、
そこからなにかを読み取ろうとする自分がいる。

もっとも認知の地図の作成者は自分自身だから
必ずしも正確だとは言い難い…

よって、それがどれほど有効なのかはわからないという問題は常にあるなぁ。
おお、人間はどれほど遠くまで地図を描けるのだろう…

「意外」感 [日記]

「意外」感というものは実に新鮮である。



今日も朝から日差しが強いのだけれど、
いざ外に出てみると、
思いがけず爽やかで涼しい風が吹いている。

イメージとか予測がはずれたわけだけれど、
そのことが妙に新鮮に感ずる。

「意外」感の「正」の効用というのは
私にとっては案外に重要で、
なんだか新しいドキドキ感で満たされる。


で考える…
「現実」ということの不思議を…

行列を作るということ [報道]

昨夜のテレビ番組
NHK スペシャル 道具を使うサル」は面白かった。

一夜明けてもフサオマキザルの映像が蘇る。
なんだかドキドキしてくる!! 
こんなことは珍しい!

石や実、台といった3つの道具を同時に使いこなすこと、
2足歩行したり、人間の介護をする(訓練中の)サル。
そのいずれも衝撃的!!!



なかでも印象深かったのは、
実を割るために「行列」を作るというところ。

行列を作るというのは、
まずそこに「やしの実を割る」という共通の目的が
認知されていなければいけない。

さらに、待つという行為が「メリットをもたらす」ことを
明確に認知し、ある種の抑制・コントロールを伴うことが
必要になる。

待ち行列っていうのは結構高い認知機能が必要なんじゃないかと…
幼児の社会性の発達を考えたり。

うむ、これってすごいことだよね…



やしの実を割るという作業は、
教える」ではなく「見て」学ぶという。

親指のつき方だって個体によって微妙に異なるだろうし、
石の持ち方、落とし方…

中には石を自分の指に落してしまって
ケガをしたサルもいたかもしれないな。

いや~、そんなことまで想像したりする…

「NHKスペシャル」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080728.html

「ダーウィンが来た!生き物伝説」
http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program034.html

刺激… [日記]

先日、初めて地下鉄南北線「六本木一丁目」駅を利用した。
(そちら方面への用事がなかったり…)

で、改札を出てびっくりする。

改札を出るとそこは「駅のパブリックスペース」
であるという概念を根底から覆されるかのように、
そこは「すっかりビルの中」なのである。

大きなガラス張りのすぐ向こうにテラスが広がっていて、
全体に透明な印象がある。
それは人工的ではあるけれど解放感を伴う。

単に「駅とビルが直結している」というだけでなく、
境界があるようなないような…
微妙なあわいがそこにある。



車を運転していて、
道路沿いの立木の連なりがまるで壁のように見えることがある。
さらに電柱で、横道からの安全確認がし難いことがある。

木々が透明になることはあり得ないけれど、
電柱が透明であるというのは面白いのではないだろうか。

電柱の影からの飛び出し事故は減るだろう。

もっとも、透明になると視界はよくなるけれど、
電柱そのものへの衝突の危険が増すという
新たな問題点が発生するのだろうな… 



都市の景観とか建築とか…
人工的であるということとその応用とか…
生物とは本質的に壊れるものであることも含めて…
そうして内なる景観をも…

いつもと異なる刺激に触発されて
新たな驚きと興味を持った一日。

ひとりひとりの… [日記]

吉本隆明氏「芸術言語論」を聴きに行く。

初めて訪れる人見記念講堂。
焼けつくように暑い日差しの中、
プラカードを持った若い男性が随所に立っている。

不案内な道筋ゆえ、視線をプラカードに向ける。
すると、それに応じて会釈をしてくれるのを感じ、
視線を動かすとにっこりとほほ笑んでくれている。

会場に着く前から「さあ、どうぞ」という空気がとても心地よい。



吉本さんは、風貌は亡くなった義母に似ている。
そして、話し方や手の動きは亡くなった実父に似ている。

プロジェクターに映る細く長い指と縦長の爪。
その形が、話しながら動かすその指が…。
まるで実父がそこにいるようだった。



言語や芸術の価値。
沈黙について。

3時間に凝縮された講演は
随所に「私」に根底で重なる部分が多かった。

まるで自分を振り返りまとめる時間そのもののような。
そして、ここからまた始まるような。

最後をまとめる糸井氏の言葉も温かく
会場全体がまあるくひとつになったように感じた。



こんなに大きなイベントなのに
そこに集うひとりひとりの「人間の存在、生の存在」を意識する
とても不思議な時間でもあった。
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